朝日記150810 仙台牛タン1.5の旅と今日の絵
みなさんおはようございます。
徒然こと 仙台七夕のことなど
仙台の七夕祭りをたのしんできました。朝東京駅8:45のやまびこ号で昼前に仙台着です。東京駅の駅弁売店は大賑わい大繁盛ですね。ここですきな弁当とビールを整えての快適な旅です。
仙台七夕はことし戦後復活70回ですから終戦の年に復活したことになります。 天皇の終戦の詔勅の一週間前ですから、この年はどうであったのか、不勉強でしらべていません。
洗練された作品嗜好でした。 それぞれが嗜好をこらした吊るし纏がいつ果てるとなくつづく。浴衣を着流したひとたち、車いすのひと、旅人などで溢れます。ひとつの実体ディスプレーの切れ目のない壮大な吹き流れの森が出来上がっていました。 仙台の商工会と市民、自治体が一体となって、 寅さんの映画とおなじで、ひとつのまつりとして誇っているとおもいました。 震災復興への篤いおもいも込められていることも感じました。
かつて、出張の折、たべた牛タン麦飯1.5も、久々の食することができ 「これで仙台卒業」と満足でした。それにしても牛タン屋さんはどこも席待ちの列でした。
ナイトツアーで青葉城址、記念館、武者隊の舞踏、瑞鳳殿など伊達公三代廟所が彩色絢爛豪華な桃山建築で、イルミネーションをしっかり施し、和太鼓演奏のこだまがが神林に躍動する。 ちょっと見かたをかえると古色蒼然も一転、現代化して観光資源になるものよとおもいました。
絵の画材はなるべくかさ張らないよう準備しました。早朝、広瀬川でのスケッチを目指して、向かいましたが、夜来の雨に舗道は濡れていました。また通り雨にもあって、1キロメートルほど川沿いまで辛うじて至りました。雨が止まず、結局川原に下りずに、ここの公園で、木立の下 同じ雨宿りの猫などのスケッチをして、しっかり、ぬれて宿に帰りました。着物をきた若い女性が偲びがちに帰途を急いでいるすがたもありました。
二日目は、JR観光バスで、塩釜神社、塩釜の海鮮市場での食事、松島遊覧、瑞巌寺、そしてキリンビールの見学をしました。 海鮮市場は先年 絵のなかまのさかのぼる氏がスケッチされたところですが、岩牡蠣やウニ、アワビ、マグロなどその場でたべられます。 アルコールなどは形式上は禁止されているのでしょうが、公然の秘密で、頼むと手品みたいにさっとテーブルの前に運ばれれてきました。ここでの食事は素朴ですが、牛タンと序列着け難いほどのおいしさでした。
時間の関係で先へ先へと追い立てれます。 船を待たしてあるという塩釜港から瑞巌寺までの松島遊覧が続きます。津波で塩をかぶっていたのでしょうが、松も青々で変わらぬ松島がありました。ここで、筆ペンで、スケッチします。
このツアーの最大のよびものはキリンビールの仙台工場での見学とビール試飲でした。JRの定期観光とキリンビールが提携していうのでしょう。 こういうビジネスモデルもあるのだと頭のよい企画マンに敬意を表するものです。小1時間で、ビール3杯までどうぞというものですが、うまくできたもので2杯くらいが精々です。
この郊外の地区にビール試飲、水族館、アウトレットなどが集中して 大変活況を呈している様子です。
さて、その観光ガイドは 年輩の女性で、大分ないですかと尋ねると、 人に語れないほどと笑みを返してきました。 道中、3.11の津波の状況を丁寧に説明してくれました。 こちらは通りいっぺんのことしかわかりませんが、名取川、塩釜、松島、瑞巌寺、それに大量のビールがながれたキリンビールの工場あたりの様子、国道42号線の高速道路に早めに駆け上がったひとが助かったはなしなどをしてくれました。 また、火災保険や地震保険など、突然の災害にきちんと手を打っておくことの大切さ、その明暗を語っていました。
釜石での小学生での訓練で生存者が多かったという事例の話に、少々耳をそばだてます。 当時の群馬大学の先生が、それまでの一般に予測されている最大津波の大きさの確率的な頻度が小さいという見解を持つにいたり、それを警鐘して動いていたそうです。 そのひとつとして、塩釜での児童への自主避難の指導に当たったというものです。 以前にNHKのドキュメンタリーを垣間見ただけで、ああ学者の失敗例かくらいに記憶していましたが、その先生の指導を評価するむねの説明がありました。
私の高校以来の友人が星谷 勝氏で、当時スランフォード大学で確率理論土木工学の世界で注目を集めた新進気鋭の学者でした。 その縁があって、彼の大学院の研究室で、偏微分方程式の応用の連続講義をしたことがあります。そこに聴講しておられたひとりの才能のある若者のことをおもいだしました。群馬大学の先生とはその人・片田敏行氏であったことを記憶しています。 先年、東京都市大学の学長代行になられ、いまもご活躍ときいています。 また、彼の先生、わたくしの友人の星谷氏は、すい臓がんで、他界してはや、13年を経ています。
たくましい復興ぶりに目が集中する思いの旅でもありました。
最近は新幹線のおかげで、一泊旅行でずいぶん遠くまで快適な旅ができるようになりましたね。
取り留めもない報告で、恐縮でした。